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礼文町の概要

町の歴史

 江戸時代の前期にあたる1685年に松前藩の直轄地として宗谷場所が開設され、礼文は利尻とともに付属場所として開設されました。
 以後、アイヌ民族による煎海鼠(いりこ)や鰊漁による和人との交易場所として徐々に開拓されてきました。その後、和人が移住し、明治13年には香深村戸長役場が設置され、さらに明治25年には船泊村が香深村から分村しました。
 第2次世界大戦終了後の昭和31年に香深村と船泊村が合併して礼文村となり、昭和34年には礼文町が誕生し水産業の町として発展しました。
 また、昭和49年には国立公園に指定されて多くの観光客が全国から訪れるようになり、すぐれた景観と貴重な高山植物による観光の町「花の浮島礼文」としても発展を遂げてきました。

町の自然

位置

礼文町の位置
 一島一町の礼文町は、日本の最北端の島として、北海道北端の稚内より西方59㎞の日本海上に位置し、その東南には、幅約8㎞の礼文水道をへだてて利尻島と向き合っています。
 礼文島の位置、経緯度は次のとおりです。
  • 北緯 45度30分14秒
  • 東経 141度 4分16秒

地形

 礼文島はアイヌ語「レプンシリ」に由来し、「沖の島」という意味で隣接する利尻島とは、輪郭はもとより、地形、地質、さらに生成時期などにおいて、まったく趣が異なっています。
 礼文島は南北29㎞、東西8㎞のやや細長い島で、島内中央部の最高地点である礼文岳490mを除き、南部と中部の標高はおおむね200~300mの丘陵地が連続し、東側は海岸線に向かってしだいに下降して海に達しています。一方、西側は急斜する海蝕崖として、断崖絶壁となり海に臨んでいます。
 また、北部は100m内外の平坦な丘陵地帯で久種湖周辺に低地が存在しますが、湿地帯となっています。
 このような地形のため、利用できる平地は多くありません。
澄海岬久種湖

気象

 礼文島は日本最北端の宗谷地方の気候、総じて北洋の気候に支配されますが、日本海側のため対馬暖流の影響を受け、内陸の気候と比べると比較的温暖です。
 オホーツク海から流入する流氷の影響もほとんどなく、夏期は冷涼で冬期は温暖となり、また、本州ほど四季の区別のない気候となっています。
 4月、5月は、曇天日数、降水量が少なく秋と並んで晴れる日が多く日照率が高くなります。6月はオホーツク海高気圧の影響で曇りや雨の日が多く、霧の発生も多くなります。夏期間、北太平洋高気圧の勢力が強いときには、晴天が続き気温が上昇しますが、オホーツク海高気圧が発達するときには冷夏となり、朝晩、暖房を必要とする日もあります。9月は比較的天候が安定しますが10月以降は大陸の高気圧に支配され気温が低くなり、12月に入ると雪の降る日がしだいに多くなり、年内には根雪となります。1月から2月にかけては大陸性の高気圧の影響を受け、北西の季節風が大変強くなり、内陸ほど気温は下降しませんが積雪は多く、強風の厳しい季節を迎えます。
夏の礼文島冬の礼文島

礼文町章

町章
円は町民の平和と団結を表している。レは礼文町のレを表し、教育に文化に産業にあらゆる分野における発展を強調し、制定されたものである。

町の花・木・鳥

レブンウスユキソウの写真
町花
レブンウスユキソウ
シンバクの写真
町木
シンパク
コマドリの写真
町鳥
コマドリ
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